butterscotch

木になるアボカド/聖なる日課/旅・本・映画

【アルバニア旅行記⑥】ネズミと寝た夜 Sarandë

※以下は2016年秋の旅行記です

 

サランダはフェリーに乗って2時間足らずでギリシャに渡ることができるビーチリゾート地だ。ギリシャよりも物価が安いので、夏はかなり盛況する。私がそこを訪れたのは秋とはいえ、まだ震えながら海にも入れそうな陽気だった。にもかかわらずあったのはブリュージュもびっくりの死都であった。
生活感、生活音、活気、なんもない。どくさいスイッチ」押したなっていうくらい、人気のなさが肌にしみわたってくる。デカダンスとか世紀末とかそういう言葉は似合わない、オフシーズンってこういうことかという...

そしてこの感じ、決していやではなかった。
シーズン時に充満していた山のような観光客と経済の残響、俗世の影。世界の終わりってこれに似てる気がする。
貸し切り状態のカフェでコーヒーを飲んで、街で一番安いホステルにチェックインした。

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貸し切りカフェのテラスで浴びた西日

街灯が暗い中、ホステルまでの道に迷うなどの冒険を経て夕飯に冷たくなったテイクアウトのピザを食べながら、庭を所在なげに流れる大音量のポップ音楽に耳をかたむけた。沈没しゆく船で演奏を続ける音楽家を彷彿させた。タイタニック号に乗っていたら、私なら最後まで彼らの音楽を聞いていただろう。

ぽんこつ詩人の誕生である。

この哀愁ときたらカワズもびっくりだ。ワビサビを知る人ならこのオフシーズンのサランデは結構面白いかもしれない。
ホステルにはラップトップとにらめっこしっぱなしの無口な白人男が隣の部屋にいる以外に他に宿泊客もおらず、クラブくらい音はあるのに静かな夜だった。

 

寝る時になって妙なことに気づいた。
自分の周囲から「チューチュー」か「キーキー」という音が断続的に聞こえてくるのだ。拍子も規則性もない、例えるなら錆び付いたスプリングの軋む音、油をさしていないネジが回ってる嫌な音、もしくは罠にかかってもがくネズミの鳴く音。

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謎の音が鳴り続けたカウチ

私が寝るベッドのすぐ隣のカウチあたりからだというところまでわかったものの、下を覗きこんだり、カウチを叩いたりしても決してその音は朝まで止まず、正体すら不明だった。
なんだったんだろう。今でもわからない。

翌日朝一番に起きて遺跡も青の池も見ないままティラナ行きのバスに乗り込んだ。

 

※サランダは古代ギリシャの遺跡など見所は結構ある

しおれてます

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こんにちわ。アボガドです。

寒いですね。どうやら今年の冬は寒いみたいですね。

なんで天気の話なんかしているかというと、少し元気がないからです。大きく開いた葉っぱがしょんぼりしてきました。だからといって肥料とかそういうのはいらないですけどね。

ルームメイトの猫さんと眠いねって話してます。

水換え係さんも最近は長く寝ていて、「明日は早起きするぞー」と言っては朝遅くに起きてます。

皆さんくれぐれも体をお大事に、おやすみ!

 

中勘助の素朴で豊かな旅の作法

こちらはメイソン・カリー著『天才たちの日課』の勝手に続編コーナーです。

本の中では紹介されていない「聖なる日課」を紹介していきます。

★★★

カンスケ・ナカは28歳で書いた、代表作『銀の匙』が恩師夏目漱石に絶賛され、これは今でも増刷がかかるほどの人気作だ。
この作品の執筆前後に彼は野尻湖弁天島という無人島に二度もこもっていたことをご存知だろうか?

寺に暮らしたり、各地を転々とする放浪の期間が人生で少なくはなかったナカにとって浮世から隔絶された島での日々は何を意味したのだろう。

日記小説『島守』の中でナカは弁天島にこもった一ヶ月間の日課を明らかにしている。それは20代の青年に似つかわしくないほど、質素で清閑な日々だ。

 

病弱なナカの寝起きはよい方ではなかったみたいだ。何時に寝て、何時に起床していたかは不明だが、目覚めてから睡後のけだるさが全身からきれいさっぱりなくなってしまわないうちは起き上がらなかった。

起きると、島の南の浜に顔を洗いに行く。

それから焜炉に火をおこして、餅から黴をけずって焼く。焼き餅に醤油をつけて、豆板、卵と一緒に朝食をとって、お茶でしめる。火を起こしてから、ここまで1時間半ほど費やされる。

休憩をすこし挟んでから、読書あるいは日記の時間。

昼食は時間や手間の節約のためとらない。

暖かければ南の浜におりていって、膝まで水につかりながら体を拭く。
摩擦で充血した皮膚から風がしみ入り、四方を囲う山々を眺めるのは爽快だという。
この時、洗うべき衣類や食器があれば一緒に洗う。

家に帰り、心臓の鼓動がおさまってから読書、必要であれば午睡。

15時半に夕食の支度を始める。

何故こんなに早いかというと、一日二食であるというのと、日暮れまでの散歩の時間を十分に確保するためだ。夕飯は雑煮なので、鰹節をけずったり、茄子の皮をむいたり、切ったり、つゆの加減をみたりするので朝よりも作業は多い。

食べたら火を消して、食器を片付け、それからゆっくりと鳥居へ向かう。
この夕暮れ時の散歩はカンスケ・ナカにとって重要な時間だった。紅葉を拾ったり、歌を歌ったり、木の根をまたいだり、石段を上り下りしたりして日が暮れるまで歩いていたそうな。

 

この「島貸し切り休暇」の住環境は決して恵まれていたわけではなかった。ほとんど家とは名ばかりのボロ家に住み、食事もほとんど岸の住人からのおすそわけというごく質素なものだったらしい。

だが『島守』を読んでみると分かるが、
ネズミと友達になったり、思わぬ手紙がきたり、風の音が幽霊の衣ずれの音のようだったり、日々はいたって寂しくもなければ暇でもない。
あるいは、水と風と鳥との暮らしが、ナカの感性をつねに忙しく動き回らせるほどに研ぎ澄ましたといえるかもしれない。

目まぐるしい毎日では抱えきれずに溢してしまうものを丁寧に拾い上げ、磨きあげ、味わい尽くす、それが旅でなくてなんであろう。

 

 

以下の文庫本に収録されている『島守』を参考にしました。

犬―他一篇 (岩波文庫)

犬―他一篇 (岩波文庫)

  • 作者:中 勘助
  • 発売日: 1985/02/18
  • メディア: 文庫
 

 

【アルバニア旅行⑤】何しにきたんだろう Gjirokastër

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ジロカストラ

※以下は2016年秋の旅行記です

 

大好きになったポグラデッツをわずか一日ちょっとの滞在で後にした。
例によって、もっとアルバニアを見たいという気持ちが先走ったのだ。焦っていいことはない。次なる目的地はアルバニアの古都であり最大の観光地であるジロカストラに決めた。ジロカストラは、アルバニア人ノーベル賞作家のイスマイル・カダレと、有名なスターリン主義独裁者のエンヴェル・ホッジャの生まれ故郷で、日本でいう京都くらいに外せない文化の中心地だ。

目があって乗り込んだティラナ行きの大型バスはほとんど席が埋まっていて先頭の座席に座ったので、アルバニアの道路はどれほど動物の死体が多いか、たんまり見ることとなった。それでも暗い気分にならなかったのは運転手と運賃徴収係と私の隣に座っていた女が、こちらが運転に支障がでないか心配になる程、終始はしゃいでいたからだった。猫の礫死体を通り過ぎるたびに、「ぎゃーおおおおーう」と大袈裟に吐き気を堪えるそぶりをし、同業者とすれ違うたびに様々なバリエーションの身振りと表情で挨拶をし、道路を飛び出してきた老人に向かっては全身を奮い立たせて叱り、みてて飽きなかった。
エルバサンで降り、少し歩いてバス・ターミナルまで行く。その市場を通る道では学生や店の人からやたら声をかけられ、かなり面食らった。外国人に慣れしている地域なのか、フレンドリーな地域柄なのか。私からしてみれば恐怖でしかなく、美味しそうな屋台も足早にすべてスルーした。フィオールからジロカストラに行くバスではいつもよりも2倍近く高い値段が請求された。距離もあるのはわかるんだけど、それにしても高いな....いよいよ観光地に行くのだなと身構える。
ジロカストラに着くとバス停にはタクシーが待ち構えていた。目当ての安宿のところまでタクシーで行くと、ホステルの主人は一泊15ユーロだと言った。私は他の人のブログで10ユーロだとチェック済みだったので、値切り交渉をすると10ユーロでいいよと言ってくる。しかし、そこまであっさり下げられると返って「さっきはふっかけたな!」という不信感がふつふつと湧き、なぜか更なる値下げを要求してしまった。オヤジは「10ユーロがジロカストラの宿では最安値だよ」と言ったが、私は「他の宿を見てから決める」とタンカ切る。

それから城の方に上がっていく道で老女にザクロを手渡されて、ああ、どうも.....て反応をしてしまってから、まんまと名産だというお茶を買ってしまう。観光地耐性がついてなさすぎることを自覚する。
夕暮れににさしかかるジロカストラは.......街並みが廃墟というのかな、現代的に整備されている箇所もあるのだけど、そのすぐ近くにゴミの山があったりとか....「随一の観光地」という称号に見合うほどの金が流れてきているわけでもないような。全体的に灰色というか、清潔感も生活感もない地の果てを思わせる。古い建造物も基本的に何の手入れもせず、放って置かれている感じ。ここは一泊以上滞在しないだろうと確信。

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丘伝いに登っていくと、庭付き一戸建ての素敵な白いホステルをみつけた。芝の椅子でのんびり読書をしている髭ヅラの白人青年は宿泊者だったのだが、ホステルの人が席を外していたので彼に案内をしてもらった。彼の他に静かな旅行者が一人だけというホステルはとっても清潔で、一泊15ユーロという。

「ここいい!」と印象最高だったにも関わらず、数ユーロの節約のため?「もう少し見てみるね」と言って、そこを後にし、結局一番安いオヤジのホステルでもない、最後に見つけた第三のホステルに決めた。そこは二人のアメリカ人住み込みボランティア(働く代わりにタダで泊まれて食べれる)で運営されているところだった。私が泊まった日がシーズン最終日ということで夜には10人ほどいる宿泊客がそれぞれ食べ物を持ち寄ってパーティをする予定だというのはチェックインの後に知った。私は見ず知らずの人大勢を前にするのはただでさえ苦手なのに英語ネイティブの集団のパーティに入るなんて無茶だった。全然会話についていけないし、アメリカ人が作ってくれたご飯もこう言っちゃ失礼だけど美味しくなくて、もう一人日本人の女性が宿泊客にいたのが唯一救いだった。彼女は弾丸旅行中の東京の会社員で、世界各国を一人で旅行するのが趣味の話が面白い人だった。

短い旅行期間中に二人も日本人と出会えたってことは、人口の割に日本人ってアルバニアを訪れているのかもしれない....

旧市街を少し歩いてみると、外国人が喜びそうなバーや豊富な商店、無駄にカラフルなライトやどっかで見たことある既製の土産品の山に相当うんざりしたけど、レストランからはいい匂いが漂って、見てみるとあの素敵な白いホステルの髭ヅラの青年がテラス席で一人食事をとっていた。目が合って、私が近付くとナイフとフォークでチーズと肉をハーブで包んだジロカストラの郷土料理を食べていて、すごく美味しそうだった。私はチェックインした後だったので「疲れてて、決めちゃったの」と言い訳しながらも、内心後悔していた。夜、アメリカ人のつくった、どうしたらこんな不味くなるの?と不思議なくらいのトマトソースパスタをすすりながら、どうして私はあの美味しそうな料理を髭ヅラと食べていないのか涙を飲んだ。直感のままに、決断できなかった自分がふがいない。

ついでに、あの一番最初に出会ったホステルのオヤジとも再会した。「あなたのところが一番安かったわね」と認めて、すこし話してみるとそのオヤジは実にいい人だった。今考えると別にオヤジの対応は「ふっかけ」でもなんでもない。閑散期だから少し値上げした金額を言っただけの話だ。「定価」厳守しなければいけない理由なんてないのだから。

自分はとことん観光地が苦手なのか、ティラナ、ベラト、ポグラデッツときてこの一番の定番の都市、ジロカストラはまあ、本当にがっかりだった。古い建造物や城もたしかに古いし、遺産とよべる規模と価値には違いないのだけど、外国人の趣味に揃えられた旧市街の道沿いと、無個性な土産物にはゲンナリだし、ベラトとポグラデッツののんびりした美しさに心打たれていた自分にとって、みたくないものだった。

次の朝、ジロカストロ城を見物にいく。巨大な旧牢獄跡は照明が落とされていて観光客が恐ろしいほどいない。ティラナの博物館同様、夥しい量の大砲や銃といった武器の展示。
彼らはなにと闘っていたのだろう。全部を鉄に溶かしてまで。

唯一革命家の展示には興味がわいたのだけど、ホッジャのプロパガンダ・フィルムはテレビの故障なのか、上映していなかった。
なにもかもずれている。何しにきたんだろう。

昼前にこの街を後にした。

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時計台のところは気持ちがよかった

 

宇宙と玉手箱

NASAだかJAXAだかの宇宙飛行士採用試験の最後の方の面接の質問で、
「桃太郎と浦島太郎どっちが好きか?」という質問があるらしい。というのを下の本で知った。

 どういう訳か飛行士になる人は高確率で浦島太郎が好きと答えるみたい。

私は桃太郎派なので少し残念だった。

だって

きびたんごって美味しそう。
竜宮城のご飯って海鮮しかなさそうだけど、きびだんごって、こう......垂涎の響きだ。どっかの地方の土産品で、きびだんごって名前のきな粉が付いた餅団子の串刺しを売っていたんだけど、わたしの想像の中の本当のきびたんごは桃の形と色なんだ。あの中華料理屋でよくみるセイロ入りの桃饅頭をもっと天国のように甘くしたような味。命かけてなんでもしたくなる味とはどんなもんだろうと想像が膨らむ。

浦島太郎は気の毒だ。
「開けてはいけない」箱なんか持たされて…両親や知り合いが死に絶えた世界に一人帰ってしまったあとの寂しい人生は想像にたえない。いじめられていた亀を助け出したのがこの仕打ち?って子供のころこの話を聞くたびにハンカチを噛んだ。せめて竜宮城のごちそうがどんなものだったか分かれば少しは救いがあるのかもしれないが。

ただな....よくよく考えてみると、手柄立てるために鬼ヶ島に行く桃太郎って好きなタイプじゃない。突然鬼退治だなんて野心家で自己顕示欲が高そうで暑苦しい。戦闘力拡張するためにバランスよく使える動物を引き入れるあたり、計算高い。そう考えると、きびだんごもパシパシ鞭代わりの札束に見えてくる。

浦島太郎は実直。出会すシチュエーションで普通の選択をするだけ。
まあ人なら普通そうだよね、って選択をとるだけ。
亀が虐められてたら助けるよね、竜宮城に行こうって誘われたらそりゃ行くよね、でも家族友人が恋しくなるよね、箱開けるなって言われたら開けるよね......っていう…
運命を受け身で100%享受しつつ、基本、「人」なところ、なんかいい。

考えてもみたら、「自分で選択できること」って大体玉手箱みたいなもんだ。開けてしまえば、こんなもんかと思うものでも開ける前までは開けたくて仕方がない。
例えば、「たばこ」。初めてタバコ吸う前は、タバコを吸う人生っていうのはどんなのだろうと想像を膨らませるものだ。
でも最初の一本吸ってからは「ああ...まあ、こーゆーかんじね」なんである。がっかりだぜ!!でもなければ、ヒャッホーイ、サイコー!でもない。突然頭が冴えたり、カッコよくアンニュイになったり、人生が別次元に展開するわけでもない。

同じモクモクでも浦島太郎は突然おじいちゃんになるわけだから、超自然現象に少しはびっくりしたかもしれないけど、ああ、こーゆーことね、って思ったんじゃないかな。

でも大事なことは自分では決められない。浦島太郎は「竜宮城に行きたい!」って思って行けたのではない。毎日出会す物事にふつうに対応していく中で、突然竜宮城への道が開けただけだ。そしてふと気づくとその一方で大事なものが失われていた。

んん...浦島太郎なんかいい。

 

背伸びでもあり、充電でもある

東京23区内に住むようになってから10年以上たつ。

修学旅行で初めて東京駅から新幹線にのったときのことを覚えている。
新幹線が電車とはまるでちがう、揺れ一つないスムーズな発車とともにプラットフォームを出ると、巨大な墓石のようなビルヂングするすると後ろへ流していったあの景色。

「うごいたぞぉおおおお!」

という男子の雄叫びを合図に私のクラスの車両は拍手喝采で、一番後ろに座っていた担任は「おまえら....はずかしいだろ....」
と呆れる。口角は不覚にも上がっている。


どういうわけか私は東京に住み続けている.....
というのは戸籍上の話で、千代田区とか港区とか渋谷区らへんにたまに出たりすると、
「これが東京かぁ」といまだにあの時の拍手が蘇る。

東京に住み始めてからというもの、代官山で月1、ではなく半年1回くらいのペースで同じ人に髪を切ってもらっている。ボッサボサのやまんばが1時間で都会人に変身するのでほとんど魔法だ。代官山の魔法使いと出会うまでは、短く切ればスポーツ刈りに、パーマをかけようものなら昭和のアイドルに、伸ばせばリアル貞子にしかならなかったのは、髪質のせいではなく、地元の美容師がマグルだったからだ。
店内は古民家を改造したアロマ空間で、アンティークを基調とした雑貨と内装。天井から吊るされたミモザに大木のようなエアプランツ。
涙が出るほど効くマッサージ付きのカット¥6500。
透明なガラスのカップに注がれたペパーミントティーにはビスコッティが添えられる。札をのせる銀細工のカルトンですら愛おしい。
出来立てほやほやの東京女はさらさらのいい匂いの髪の毛で風になびかせながら、古着屋や代官山蔦屋書店を闊歩する。

月1で通っているなら、メンテ日とでも言えそうだけど、私の場合は半年から1年に一度の儀式だ。フェスのため気合入れてコスプレするのと似ていると思う。

東京は二次元ほど遠い。

広い額をむき出しにすることに抵抗がなくなるほど面の皮が厚くなってからというもの東京はさらに遠くなった。やまんばではなく、「紫式部のように長い髪の毛」と言い聞かせるくらい厚かましくなった私はメガネを外してコンタクトを入れるのでさえ億劫だ。
ただ髪がここ迄伸びているとドライヤーが30分くらいと長い。一日中乾かしているような気分になってくるのでそろそろ切りたいなあと思っている。

【アルバニア旅行④】オフリド30分観光と国境の長い長い一日 Pogradec-Ohrid

※以下は2016年秋の旅行記です

 

ポグラデッツからお隣の国マケドニアオフリド市に行くことにした。
車で1時間弱ということなので日帰りでも十分行けそうだ。
ポグラデッツからオフリドに行くには、まずミニバンに15分くらい乗って国境まで行く。それから入管を通ってマケドニアに入り、バスに乗り換えてオフリド旧市街まで行く。ホステルのオヤジから教わった通りの場所で、ミニバンらしきものが止まってたので、声をかけた。
「ごーとぅーオフリド?」
運転手は黙ったまま一回すっと首を横に振る。
これはYesということだと理解するまで数分要した。

バンは15分くらいで国境に着いた。車が列をなしていたが、私は歩いて通過しようと思っていた。すると1人のアルバニア人の男がわりと流暢な英語で話しかけて来た。

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アルバニアマケドニアの国境

オフリド市内まで30kmあるから歩きは無理だよ、僕は今日オフリドで用事があるから市内まで君を連れて行ってあげる。帰りも乗せて帰ってあげるから〇〇レクでどう?」
私はバスに乗ると言って立ち去ろうとしたが、こいつがなかなかシツこい。断っているのに追いかけてきて、自分のパスポートなんかを見せてくる。今の私ならこんな輩はガン無視だが、その時はアルバニアの非観光地的接待で耐性を失っていて、押しに負けて車に乗ってしまった。
乗ってすぐに後悔した。

バスの本数が少ないなんて出まかせに決まってる...こいつは非合法な個人タクシー業者だ...要求金額も法外に高いに違いない....アルバニア人の中では異例の胡散臭さ放つ男の車になんで乗ってしまったんだろう......
後悔が止まらない中、車はアルバニアの国境を通過し、マケドニアの国境を越えようとしたところで問題が発生した。理由はわからない。とにかく入管の職員と男が激しい言い争いをはじめ、職員は私に車から降りるように言った。職員は私にマケドニアに何しに行く?と尋問。
オフリド市内を観光して今日中に戻ります」
「路なりに5分歩け。バス停があるからそこでバスに乗って行くんだ」
はいそうするつもりだったんです!と嬉しさ半分と動揺半分。

自分の足と公共交通機関だけで行こうと心に決めたが、歩けども歩けどもバス停がない。10分以上は歩いてもあるはコンクリの道路。と乗用車、いちいちクラクションを鳴らして「乗らないか?」と止まるのである。中には金額を提示する者もいて、タダで乗せてやるよと言う人もいる。低速で私の方を無言で視線を送るだけの者もいる。いちいち断るのが面倒になって今度も押しに負けて静かそうなアルバニア人の男の車に乗った。

「いくら?」
と若干イライラした声で聞くと、男は「...None...」と遠慮がちに言った。乗せてくれたのに申し訳ない。この天罰はその日のうちに下された。

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マケドニアオフリド旧市街

カネが正常に回っている世界に帰ってきた

マケドニアに入った第一印象。自分がよく知る世界の側に戻ってきたな感。
北朝鮮から韓国に渡ったら同じ感覚がするんだろう。資本が回って、余剰物とカネの循環が行き届いている世界。道路がキチンと舗装され、古くなったものは定期的にその機能が損なわれる前に新しく買い換えられ、道路にゴミや動物の死体がなく、芝生が緑。自然のメカニズムと人間の領域が明確に線引きされている。それが砂埃の一粒に到るまで当たり前のように実現されている世界。こうして隣国に一歩足を踏み入れて見ると、アルバニアと言う国が近隣の国といかに明確に線引きされ、独自のやり方で存続してきたのかというのが実感できた。
資本主義と社会主義の境に加え、イスラーム文化とキリスト正教文化の境も濃い。アルバニアから一歩外の隣国に出れば、もうモスクはない。もちろん海を渡ればトルコがあるが。
なぜバルカン半島の他の国と違って、アルバニアだけがオスマン帝国支配時にムスリムへの改宗が進んだのか。その偶然か必然がアルバニア独自の文化の核となり、社会主義からの鎖国への独自路線を走らせたらしい。

と感慨にふけりながらオフリド旧市街を観光するも東方正教会の美しい壁画や建築を見にきた観光客でごった返した活況にいささか面食らってしまった。観光地はどこもディズニーランドと変わらない、あるのは夢「ここは東方正教会の聖地」と「記念」洗脳;ロゴ付き磁石やらマグカップの山と、ソフトクリーム....
旧市街は教会や、城跡と言った拠点ごとにキチンと入場料をとる。ボランティアガイドがいて、説明が終わるとチップをくれと言う。私はユーロかレクしか持っていなかったがユーロでいいという。東欧中、中東方面からも観光客がきているみたいだった。こんな一大観光地だったとは.....半時間ほどで静かなアルバニアが恋しくなった。

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キリスト教世界最古級のモザイク

確かにモザイクは綺麗........な筈だ。そもそもキリスト教がカルトだった時代に教えを語り継ぐメディアであったモザイクは聖書の物語を文字ではなく絵で表現したものだから(魚=キリストのように)知性の伴わない"純粋な"美意識で味わえるものなんてほとんどない。言うなれば絵の形をした文字なのだ。聖書知識皆無の頭についた目からも糧を得られるようにガイドが解説するが、突然「聖書の〜〜の章のあれよ」なんて言われても真新しい知識を咀嚼するのは一朝一夕といかない。
悔しい。

すなわち、ありがたいモザイクから解読できたのは「出直してこい」だ。

帰ろうと決めたのは昼前だった。アルバニア国境までバスがあるはずだけど歩きたい気分だった。
来るときここまでずっと一本道だったし、途中までオフリド湖に沿って歩くのは気持ち良さそうだった。30キロ、車では約40分。私は中学のころ体育のマラソンで3キロを約20分で完走した記憶がある。20分×10で約3時間。走るのではなく早歩きなので2倍の6時間くらいで国境まで行ける計算だ。今はちょうど昼だから夕食時くらいまでにはアルバニアに入れるだろう。この計算は全くの不正解であったことが後に判明する。

さあ出発だ。

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大観光地なので人通りが多いオフリド中心

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沈みゆく太陽を追いかけながらひたすら湖沿いを歩く

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まだまだ余裕だと思いながら、暑いのでダウンを脱いで歩く。汗を流す

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やたら木の写真を撮る

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家族連れ

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やたら木を撮る

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湖って海とちがって波の音がしなくて、ずっと見ていると穏やかな気分になる。

旅人と再会

アルバニア側から走ってきた乗用車が一度通り過ぎ、バックして私の隣に止まった。渋いおっちゃんが運転している。その助手席から手を振ってる女性。ベラトの宿で一緒だった台湾人女性だった。
「わー今からマケドニア?そうかそれからブルガリアに行くですよねーわー」
と嬉しくなる。運転手のおっちゃんが
「もうすぐ日が暮れるからこの車に一緒に乗って、今夜はオフリドの宿に泊まりなよ」
と言う。私はオフリド(30分)観光をし終えて、宿があるポグラデッツに歩いて帰ると言う。おっちゃんが言う。
「歩いてポグラデッツ?国境まであと20キロ以上あるぞ」

え、嘘

気分的にはもう中間地点は過ぎたと思っていたので、めっちゃ焦るが

「日が暮れたら、適当にヒッチハイクするから大丈夫!」と言って別れる。

私が捕まってしまった胡散臭いおじさんとちがって、あの台湾人が捕まえた運転手はめっちゃ優しいし、英語上手だし、渋くてカッコいい。さすが旅玄人だ。ベラトでまるで黒子のように自分の存在を消して撮影していた姿といい、改めて尊敬だ。

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日が落ちる

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夜のとばりが下りる

ヒッチハイク

日はあっという間に暮れた。道は一本で道なりだし、10キロは歩いたからあとその2倍歩けばいいってことでしょ?だ、だ、大丈夫、大丈夫!ここまでは写真撮りながらゆっくりし過ぎたのだし!と思いながら急ピッチで歩くがすぐに大丈夫ではないと悟る。

まず、暗いのだ。街灯がほとんどない。たまに通る車のヘッドライト以外光源がない。iPhoneでしばらく足元を照らしていたが、途中木の写真を撮り過ぎたのでバッテリーがなくなった。

そして寒さだ。山の気温は日没とともに秒速で冷えていった。日中暑くて脱いだダウンを羽織り、チャックを首元まで締める。それでも冷気がジーンズをしみて体温を奪っていく。手や首元から氷のように冷えて行く。

これはダメだと思った。こんな暗くて足元もおぼつかないから歩きからマラソンに切り替えるわけにもいかない。そもそも10キロを5時間で歩いたのだから、このまま歩いたら朝になってしまう。

人生で初めてヒッチハイクをすることに決めた。
行きは歩いているだけで向こうから話しかけてくれたのに、帰りは自分を追い越して行く車はみな「飛び出してくんなよ」という意味でププーとクラクションを鳴らして徐行する素振りもなく通り過ぎて行く。森の静寂の中、遠くから車が走ってくる音が聞こえる。「よしこの車に乗せてもらおう」と決める。遠くからヘッドライトがほんのり足元を照らし始める。
「よし、今だ!」と意を決すが、手が上げられない。自分を乗せようとして入管で怒られたおっちゃんの車だったらどうしよう、「乗せて欲しけりゃ1万ユーロ払え」とか言われたらどうしよう。そんなこと考えると手が上げられない。手を挙げるという行為自体、小学生以来やっていない気がする。皆大好きな多数決をとるときも私はずっと中立という立場をとるために手を上げなかった私。いやいや、ティラナでも声をかけ続けたら道がひらけたじゃないか。自分に打ち勝つんだ。と自分を鼓舞するが、手を挙げることが恥ずかしい、ちっぽけな自尊心が手を挙げさせなかった。
何台もの車がアルバニア方面に走り去っていく。だんだん、「別にヒッチハイクしなくてもよくね?」と不要な自尊心が自己を正当化し始める。「だって道なりじゃん、道路も舗装されてるし朝まで歩けば別に良くない?その方が冒険じゃん」この主張に納得して胸元まで上がっていた手を下げる。
冒険の中でボソりと何かが声をあげる。
「今........たった今....自分がサイコパスに殺されてバディを透明にされたとしても誰も気づかないんだろうな」
私は儚い。
ピンッと手が上がった。3台目で車が止まった。あの胡散臭いおっさんでは幸いなく、ポグラデッツに住むアルバニア人兄弟の車だった。後部座席は物でいっぱいだったが、「ポグラデッツに行きたい」と言うと手際良くスペースを作って乗せてくれた。お兄さんの方は全く英語が喋れず終始無口だったが、ガサゴソとチョコレートを取り出し、笑顔で手渡してくれた。弟の方は洋ゲーで学んだというかなり流暢な英語を喋った。
「大丈夫、ポグラデッツまで送るよ」
寒さに震えていた全身が後部座席で融解する。

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ひたすら歩いたマケドニアアルバニアとの国境

アルバニア警察

入管で通せんぼを喰らった。今度は私を乗せてくれた優しい兄弟の車が没収されてしまった。入管はクリント・イーストウッドを怖くしたような見た目でいかついゲシュタポを思わせる制服を着ていた。長い間兄弟と議論を交わしていたが、車は返してもらえず、私たちは近くのカフェに入ることになった。カフェというか閑散期のレストランで、遅い時間でもないのに、広々とした店内に並ぶ大きなテーブルに椅子を上げていて、照明を極限まで絞った暗い店内で店員は私たちにティーバックとカップ入りのお湯を出すと、ダラダラ掃き掃除に戻った。私には気になっていたことがあった。
「私(ピチピチの女ガイジン)を連れているからこうなったの?」
「いや、アルバニアの警察は何かとイチャモンをつけて賄賂を要求するのさ」
兄弟には何の非もなく突然車を差し押さえて、「返して欲しけりゃ金よこせ」ということらしい。兄弟は友人に電話をし、迎えに来るように頼んだ。

弟は私よりも年下だった。英語がとても流暢なのに大学にも行かず、定職にもありついていないとのことだった。"ヤクザ"なんて日本語を知っている。

「そういえば、ポグラデッツに映画館ってある?」
「昔はあったけど無くなったよ」
「そうか、っていうか"アルバニア映画"ってあるの?」
「今、徐々に作り始めてるところだと思うよ、でもまず経済がよくならないことにはね、EUに入ろうとしているところだけど、上手くいってない」
EUだって上手くいってるとは言い難いし、アルバニアはこれでいい国だと思うけどなぁ」「そう。アルバニアはとってもいい国さ。アルバニア人は他人に卑屈にもならないし、意地悪にもならない。外国人にだって注目もしないし、嫌いもしない」
「そうそう、そういう感じが好きなんだよね」
「あ、でもコソヴォの人はバカで野蛮だから行かない方がいいぜ」
「そうなんだ笑」
「あと、ポグラデッツはまだ観光とかあって栄えてるけど、アルバニアの本当の田舎の人間は他人のことを考えない。ポイ捨て平気でするし、人が困ってても無視する」

 

同じようなセリフを私はパリで聞いた。少なくとも2016年当時、エスカレーターのないパリの地下鉄で大荷物を持って私(ピチピチ20代アジア女)が一人階段を登ろうとすると、必ずと言っていいほど男の人が立ち止まって荷物を持ってくれた。「パリの人はみんな親切」というと、ある人は「それは君がパリの中心にいるからだよ。パリの北に住んで同じことが言えるか試してごらん」と。

私はオフリドは大観光地でつまらないと思ったけど、外国で私たちが見ているのは、その国の選ばれし栄えた美しいものの断片でしかない。貧困で教育の機会も移動の自由もそれを考える余裕すらなく卑屈にならざるを得ない人の住むエリアはたいてい観光地からは程遠い。私はその人たちに行き届くことのない、経済サマの恩恵を受けた、舗装された道路、バス、ホステルのある街と街の間を安全な動線上で旅行しているに過ぎない。
場所が違えば私は死んで当然だった。

 彼らの友人の迎えの車が来て、兄の方が入管から車を取り戻した。なぜか助手席にはあの入管の意地悪イーストウッドが乗っていて、ちゃっかり家まで送ってもらっていた。「そろそろ上がりだから送りの車を差し押さえよう」てことだったの.....? でも車内では兄弟と親子のように楽しげに話をしていた。